ホッと一息の樹 titled by おたかさん
[別冊]ホ ッ と 一 息 の 樹(記)

ホッと一息の樹」から抜粋したものを[別冊]としてまとめています。
初出:2000/04/07(金)
逃げられて怒られて

私と妻とは、結婚するまでの長い期間、1ヵ月に1回のペースで会っていた。ほぼ百%私が電話し、妻の気乗りしない声と格闘しながら、会う時間と場所を決めていた。
デートとは言えない野暮なもので、大抵は喫茶店、せいぜいが大衆的なレストランだった。
映画は2人の趣味が違いすぎて、あまり一緒には行かなかった。ただ、どういうわけか「エイリアン2」だけは、2人とも面白いと思った。「エイリアン」シリーズの中で、「2」だけが爽快なアクション映画に仕上がっていたためかもしれない。
そんな独身時代の妻から、たった1回だけ誘いの電話があった。池袋の古びた名画座で、古典的超大作「戦争と平和」全編のリバイバル上映(8時間?)が、オールナイトでやっていたときだった。
以前、同じ映画館で何かのリバイバル上映があり、妻はひとりで観に行った。男が隣の席に座り、妻の手を握ってきた。
「あんた!なにしてんのよッ!」と妻は叫び、男は逃げた。他の観客はびっくりして、その回の上映はダイナシになった。
そういうことにならないための保険が、私というわけだ。
それでも私は一緒に観に行った。その日はウィークディだから、仕事をビッチリした上での映画鑑賞。しかも徹夜で8時間(多分)。しかも、私の苦手な文芸もの。
これで眠くならないわけがない。始まっていくらもしないうちに、ウツラウツラ…。とたんに、妻の肘が私の腕をつつく。
「眠らないでよ」押し殺してはいるが厳しい妻の声。「もったいないでしょ」「わ、わかった・…」
しかし、そんなこと言われても、眠気がなくなってくれるわけではない。
グーグー…。「眠るんじゃない!」。ウツラウツラ…。肘でグイッ。これが果てしなく続いた。妻としては、これを逃したら名作を映画館で観る機会は永久にないかも、という親切心と憤慨とでやっているのだろうが、私にとってはまるで拷問だ。
最後の休憩が終わり、いよいよ残り1編になった。ああ、もうすぐ解放される。あともうちょっと、あと、もうちょっ…。そしてまたもや睡魔に負けてしまった。
…気がつくと、エンディングテーマが流れていた。観客は帰りかけている。
横の妻を見る。いない。荷物もない! 逃げやがった!
私は慌てて席を立ち、映画館を出た。帰る方向は池袋駅しかない。そっちの道を見た。
いた。妻の長身が急ぎ足で去っていく。妻が後ろを振り向いた。私と目が合った。
妻は…、駆け足で逃げていった! 私は必死で追いかけた。しかし、妻とかけっこで勝てるわけがない。見失ってしまった。
私はその夜、妻に電話した。「どうして逃げたんだ?」「どうしてですって?!」驚くことに、妻は怒っていた。怒るのはこっちなんだぞ。
「せっかく一緒に名画を観て、ゆっくり感想を話し合おうと思ってたのに、あんた、ずっと、ずーっと眠りこけてたじゃない! 私の気持ちなんか、何にも分ってないじゃない!」ガチャンと切られた。
なぜか、私は妻のかすかな愛情を感じた。



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