ホッと一息の樹 titled by おたかさん
[別冊]ホ ッ と 一 息 の 樹(記)

ホッと一息の樹」から抜粋したものを[別冊]としてまとめています。
初出:2000/04/11(火)
赤坂の高級料亭勤務

結婚する前の妻は色々な職業を経験しているが、その中の最短記録は前に書いたイタリア・レストランのウェイトレスではなく、赤坂の高級料亭の仲居さんだ。
彼女はひたすら高い時給に釣られて、あまり近寄りたくない「アカサカ・コーキュー・リョーテー」に応募した。しかも、歳をゴマクラカして。なぜかその料亭は、歳が若いほど時給が高かったのだ。もちろん「仲居は、注文の受付と配膳、最初の一杯だけお酌、それだけ」という条件は、しっかり押さえていた。
勤め始めて、彼女は微笑ましい光景を何回か目にした。仲の良さそうな父娘連れがやってきて、料理を食べ酒を酌み交わしている。
…しかし、ある日なんかおかしいことに気がついた。やって来るのは父娘連れだけで、決して父息子連れではない。あるいは両親と子供という組み合わせもない。もしや…。
先輩の仲居さんに聞いたら「バカか」という顔をされた。「これとこれに決まってるでしょ」親指と小指を立てて、先輩仲居さんは言った。「ここで美味しいもの食べたら、ホテルに直行するのよ」その店のすぐ傍には、日本有数の高級ホテルが並んでいる。
妻の中の、唯一私と共通する部分がフツフツとたぎり出すのを、彼女は必死で抑えた。「ココハワタシノイルベキバショジャナイ。デモ時給○千円ノタメニガマンスルノヨ!」
妻は、客1人あたり平均で5万も払っていることにも(中には10万以上平気で払うヤツもいた)、目をつむった。彼女の感覚では、1回の食事にそんな大金を払うのは、大馬鹿以外の何者でもない。
板前のひとりがネチネチとした目を自分に向けていることも、無視した。
あるいは、どう見ても「や」関係の方々としか思えない客がよく来ている事にも「時給○千円、ジキュウ…」を念仏にして、なんとか耐えた。
ある日、最初のお給料を貰って帰ろうとした彼女を、板前が呼びとめた。あのネチネチ視線の野郎だ。
「これ、あげるよ。おネエさんのために買ったんだ」彼は、変わった形をしたキーホルダーを差し出した。生来のもらい物好きな妻は、不覚にも手を出してそれを受け取った。
すぐには何の形なのか分らなかった。…ようやく、それは男性の生殖器をかたどったものだと気がついた。妻の顔が蒼ざめた。
「俺の、ネエさんへの気持ち、分ってくれたかな?」ネチネチ視線を迸らせながら、板前がニヤッと笑った時…、ついに妻はキれた。スケベオヤジと食事に五万払うバカと「や」関係者とその他モロモロすべてひっくるめて。
妻は低い声で言った。「私はあんたの姉さんなんかじゃない…」「なんだって?」
「私には可愛い弟はひとりだけで、それはあんたみたいなヘンタイじゃないって、言ってんのよ、このバカッ!」気持ち悪いキーホルダーを思いっきり投げつけた。そして全速力で駆け出した。
こうして妻の「アカサカ・コーキュー・リョーテー」仲居さん勤務は終わりを告げた。



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